【歴史】吉野宿ふじや
吉野宿は甲州街道の江戸から16番目の宿場で、甲府との中間にあたります。「ふじや」は江戸時代から明治29年の大火で焼失するまで旅籠「藤屋」でした。現在の建物は大火の翌年再建されたものです。1991以降年旧藤野町の郷土資料館として利用され、2014年市登録文化財に指定されました。 (もっと見る…)
吉野宿は甲州街道の江戸から16番目の宿場で、甲府との中間にあたります。「ふじや」は江戸時代から明治29年の大火で焼失するまで旅籠「藤屋」でした。現在の建物は大火の翌年再建されたものです。1991以降年旧藤野町の郷土資料館として利用され、2014年市登録文化財に指定されました。 (もっと見る…)
江戸幕府は五街道の一つとして日本橋から下諏訪に至る全長約210㎞の甲州街道を整備しました。甲州古道は国道20号になる前の本来の甲州街道を指します。古道は鉄道建設や道路整備などによって寸断された箇所も少なくありませんが、 吉野、小渕地区にはその面影がたくさん残されています。
甲州古道 https://sub.info-fujino.com/hiking/5764.html (もっと見る…)
江戸時代末期に大関(当時の最高位)にまで昇進した追手風喜太郎は小渕地区関野出身の力士でした。小渕地区の増珠寺には喜太郎が寄贈した五具足(仏前を飾る道具)や灯籠があります。また、生家の近くには喜太郎の供養碑が建てられています。
1707(宝永4)年に建てられた築300年を超える住宅です。棟上げの時に富士山が噴火しましたが、その火山灰は住宅内に今もあります。石井家の祖先は小田原北条氏の武士団の1人で、北条氏が滅びた後、この地に住み着いたと伝えられています。1971年に国指定重要文化財になりました。
http://www5.plala.or.jp/ishii/