【歴史】前川橋
神奈川と山梨の県境である秋山川の渓谷にかかる前川橋は昭和33(1958)年に建造された木造のつり橋です。平成23(2011)年の補修工事後も木の温かみが残り、かつての様子がしのばれます。以前は車の通行も可能だったようですが、現在は「車は進入禁止、人は最大10人まで」との看板があり、通行には制限があります。
(もっと見る…)
神奈川と山梨の県境である秋山川の渓谷にかかる前川橋は昭和33(1958)年に建造された木造のつり橋です。平成23(2011)年の補修工事後も木の温かみが残り、かつての様子がしのばれます。以前は車の通行も可能だったようですが、現在は「車は進入禁止、人は最大10人まで」との看板があり、通行には制限があります。
(もっと見る…)
昭和40年代、高度経済成長の陰の面が明らかになってきた頃、自然を見直そうとの構想から整備が始まった東海自然歩道(全長1,697km)、藤野地区では石老山と石砂山を結んで大河原橋に至る13.5kmがコースになっています。石砂山は県下唯一のギフチョウ(県指定天然記念物)の生息地になっています。
相模ダムは横浜市、川崎市への上水道、工業用水、電力供給を目的として1947年に完成しました。建設にあたって18町歩(約18ha)もの水田があり豊かな集落であった旧日連村勝瀬は湖の底に沈むことになり、85戸の住民は海老名市などへの移転を余儀なくされました。
ヤマトタケルは朝廷の勢力拡大のため東に遠征しましたが、藤野の三国山に来た時、水が無く大変困りました。そこでヤマトタケルが鉾で岩を打つとこんこんと水が湧き、兵士は元気を回復しました。三国山山頂付近にはこの伝説を伝える「甘草水」という湧き水があります。
生藤山・三国山
https://sub.info-fujino.com/hiking/233.html
関野宿は甲州街道の江戸から17番目の宿場です。隣の吉野宿とともに本陣があったのですが、明治21(1888)年の火災で本陣その他の建物は焼失してしまいました。したがって、今はその面影はなく、「関野宿本陣跡説明板」がひっそり立っているだけです。