芸術・歴史

【歴史】一里塚

甲州街道には、一里(約4㎞)ごとに土を盛り上げて作った塚が置かれました。塚には榎などの木が植えられ、旅人にとって距離の目安、休憩所になりました。藤野の一里塚は江戸から17番目の塚で、小渕駐在所から右手に見える大きな榎の木が目印になっています。

【歴史】伏馬田城址(尾崎城址)

戦国時代、藤野は甲斐(山梨県)の武田氏と相模(神奈川県)の北条氏の国境地帯にあたり、戦も行われていました。北条氏は当時の牧野村を支配し、のろし台をもつ伏馬田城を作り、守りを固めていました。尾崎掃部助が守っていたので尾崎城ともいわれます。

【歴史】鉢岡山烽火台跡

牧野地区にある鉢岡山(標高460m)の頂上にはのろし台跡があります。これは戦国時代、北条氏が対抗する武田氏に備えて張り巡らしたのろしのネットワークの一つです。現在、頂上は木々に囲まれ、無線アンテナ基地にもなっており眺望は開けていません。
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【歴史】鷹取山烽火台跡

佐野川地区にある鷹取山(標高472m)は富士山が見えるポイントもあり、藤野15名山の一つでもあります。頂上にはのろし台跡があります。これは戦国時代、武田氏が対抗する北条氏に備えて陣馬山や上野原市の鶴島御前山などと連絡するために作ったものとされています。
鷹取山 https://sub.info-fujino.com/hiking/241.html

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【歴史】倉子峠の句碑

藤野には甲州街道が通っていますが、甲州裏街道も通じていました。倉子峠はその裏街道の下岩と和田を結ぶ峠です。そこには松尾芭蕉の「春なれや名もなき山の朝霞」、その弟子各務支考の「牛呵る声に鴫立つ夕べかな」という俳句を刻んだ碑があります。

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